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少し前に、「情」の定義について、話題に上った。
そこで驚いたのは、
同じ言葉を、各人が少しずつ異なったニュアンスで使っているという事。
例えば、
「情」と「愛情」を比較した場合に、
そのうちの一方が感情の「上位表現」である
という感覚。
つまり、感情が縦方向に広がる感覚。
なるほど。
ふむふむ。
TAMはですね、感情のベースが「情」だと思ってるんです。
「情」=「思い」ってニュアンスで捉えてました。
「感じる思い」だから「感情」かなぁ・・・と。
同じ「情」でも、「なさけ」と読む場合はどうなるの?
う~んと・・・・。
「なさけ」は「かける・かけられる」ものです。
「かける」という行為は、ある物事の上方向からのアプローチです。
例え無意識にでも、精神面で対等では無く、確実に上下関係が存在する場合に、使う表現かなぁ・・・と。
「情」だろうが「なさけ」だろうが、どちらにしても、=「思い」だと思っています。
そのベースである「思い」に明確な色が着けられる場合に、
「愛情」や「友情」になる。
そんな感覚です。
つまり、感情の平面的、若しくは色彩的変化だと認識してました。
色彩的変化だからこそ、思いの濃淡が出たり、
「これ・・・何色なんだろ?」って感じになったり、
自分の思いを伝えたのに、相手には上手く伝わらないことがあるのかなぁって。
「コレ・・・青じゃなくて、紺じゃん!」・・・・みたいな感じでしょうか?
ここで、本題に戻ります。
普段自分が使っている「言葉」。
この場合の「言葉」とは口頭や文字表現、全てを含みます。
私達は、もしかしたら
“相手に伝わるだろう”と「言葉」を信頼しすぎているのかも知れません。
そこには、微妙なニュアンスの誤差が存在しています。
自分の思いが相手に伝わっていないと知った時、
私たちは、何をもって相手に自分の思いを伝えるのか。
「時間」も「態度」も「回数」も、力を持ちません。
なぜなら、「言葉」の持っている意味自体が異なっているから。
バベルの塔は、案外近くに聳え立っていた様です。
「フラン、悪いが2階に居るペニーに飲み物をやって来てくれないか?」
マルクじいさんはフランに“愛娘”の手入れを頼み、自分は玄関に朝刊を取りに行った。
玄関を開けて、足元に配られた朝刊を拾おうとした瞬間、
2階からフランの声が降って来た。
「師匠~!ドアの後に誰かおられますよ!
あと・・・ペニーがカラカラです。」
フランは小さな植木鉢を掲げて、出窓から身を乗り出していた。
その手には、本来の生息地よりはるかに乾燥してしまったであろう
愛娘“ペニー”ことサボテンが力無く佇んでいた。
「ちぃと遅かったかのぉ・・・・。
それはそうと、お客さんは、昨日の方ですなぁ?
こんなに朝早くから、訪ねて来て下さったんですか?」
マルクじいさんの言葉を受け、初老の男性は目の前に袋を差し出した。
「お客さん・・・これはどういう事ですかのぉ?」
マルクじいさんはわざと呆れた表情で問い掛けた。
「この時計を改造して欲しいんです。
貴方は、“作らない”と仰っただけでしょう?
この時計を私の望む様に、組みなおして頂きたい。」
マルクじいさんは、少し黙った後、柔和な表情で言葉を返した。
「分かりました。
では、何故お客さんが、ここまでミニッツリピーターに拘るのか、
その理由を教えてやって下さいな。
・・・・まぁ、中にお入りください。
温かい紅茶でも飲みながら・・・どうですかな?」
「ありがとうございます。・・・・では、」
初老の老人も安心した表情を浮かべながら
マルクじいさんと共に店内に入っていった。
桜の季節。
TAMの住んでいる地域では、
この土日が花見のラストチャンスになりそうです。
個人的には、今年ほど桜を楽しんだ年は無かった様に思います。
電飾桜から青空の下の桜、提灯に照らされた夜桜まで・・・。
この地球上でこれだけピンクを着こなせるのは、
林家パー子を除いては、桜の木くらいのものです!!
・・・・・ん?少しスベりました?
・・・・つまり、本当に桜の木に感謝です。
季節をきっかけにして、季節以外も楽しめたら最高です。